R33 GT-R 「マイナス21秒ロマン」

平成7年式R33GTR
  
 「マイナス21秒ロマン」
とは、当時の33RのCMで使われていた台詞である。ドイツニュルブルクリンクで32Rがたたき出した相当速いラップタイムを21秒も短縮したという意味である。そのラップタイムは、7分59秒。当時としてはまさに驚異的な記録である。


平成8年のことでした。大バカ者のワシは調子に乗って転職したことが大失敗で、それが元で家族や健康やその他たくさんの物を失い、結局逃げるようにふるさとの実家に戻りました。
 ひとりぼっちで、失業していて、無収入で元家族への仕送りやクルマのローンなどなどでどうしようもない最悪の状態でした。
 そして唯一の財産であっっ32Rを泣く泣く売却し生活費やら仕送りやら借金の返済に充てました。ワシの32Rは、しばらくは買い取り店の一番良い場所に展示してありました。ワシはこの店の前を通るたびに、
「ごめんのう。ごめんのう。」
と謝りながら目を伏せました。32Rは、やがて姿を消してしまいました。
 ワシは、ローンが四年以上残っている転職前に買ったレパードJフェリーというクルマとこれもちょっとローンが残っているセルボモードという軽自動車に乗っていました。レパードは車庫で眠るしかないので毎日セルボを使っていました。本当はレパードをすぐに売却したかったのですが、一年前にこれまた調子に乗って衝動買いしたばかりの程度抜群の中古車でしたが、ローンが残りすぎてることと、あまりの珍車で買い取り店も逃げ出すほどで、結局ローンを払い続けながら手元に置いておく以外の選択肢は見つかりませんでした。大きな図体と燃費の問題から、結局車庫に入れてしまっておくしかありませんでした。
 悶々とした日々を送っていました。はっきり言うとクルマどころではありませんでした。幸い失業保険が貰えるようになりましたので、毎日職安に通って仕事探しをしていました。そうしてどうにかこうにか某公共機関の臨時職員として一年契約で雇っていただけることになり、四月二日から勤務を始めました。
 勤務先は、思った以上に居心地が良く、平穏な毎日でありました。ワシは感謝の気持ちを込めて一生懸命働きました。わがままで傲慢でどうしようもなかったワシは、自分で言うのも何ですが、生まれ変わったように謙虚で親切で真面目になりました。なぜか、そうでいることが心地よくて、幸せだったのです。今回の人生最大のつまづきは、神様がワシを更正させるために与えてくれた違いありません。この年になって臨時職員の身分で不安も多々ありましたが、毎日を平和に平凡に一歩ずつ生きていくことの素晴らしさや充実感がワシを幸せな気持ちにさせてくれました。心のゆとりがいらんことを考えさせ、またいつもの病気が少しづつ始まっていくのです。
 実際に手放して見ると、その思い出は募るばかりです。またこんなときに限って走り屋仲間からお誘いが来たり、生意気なランエボに遭遇したり、地元のシルビアとかに粋がられて不快な思いをしたりとか色々と気になることに遭遇するわけであります。
 でももういい。そういうことからワシは降りたんだし。走るのはやめました。もう三十六だし。そう思って背を向けて、なるべく見ない聞かない係わらないようにしていたのですが、どうにもこうにも気になって仕方がない。
 そんなときに出会ってしまったのが、一年落ちの走行2000Kmの超極上R33GTR・Vスペックのシルバーでした。たぶん6月の終わりぐらいだったと記憶しています。きっとこの33Rも、前のオーナーがたいへんな事情に遭遇してワシのように売らざるを得ない状況になって未練たらたらで売ったのだろうなあという事情ありありの車に違いありません。32Rを買ってくれた中古屋さんにありました。というか出会ってしまったのです。
 ちょっと乗ってみてもいいよとあっさり言ってくれたのでお言葉に甘えてキー借りました。懐かしい「GTR」刻印が入ったチタンキーです。エンジンをかけると懐かしいRB26の咆吼。懐かしい。欲しい。乗りたい。
 試しに海岸通りに出てアクセルふかしてみたらあっという間のオーバー100Km。ターンして戻るためにPAにはいりました。若い兄ちゃんたちが車止めて談笑していました。兄ちゃんたちは新型の33Rを見て目が点になったというか、視線が痛いほどでした。ワシはゆっくりと33Rの向きを変えると、少しだけアクセルを強く踏んで加速して出て行きました。
「うーん。気分がええのう。さすがじゃのう。 33R。すごいのう。欲しいのう。」
 確か450万円だったと思います。一年落ちの走行2000キロの程度抜群のというかほとんど乗っていない33R。こんな上物はめったにというか絶対に二度と出てこないと思います。奇跡の固体じゃね。
 ワシは自分の立場や状況も忘れてこの33Rが欲しくて欲しくてたまらなくなりました。
冷静に考えたら、絶対に手を出さない方がいいにきまっています。現に今は、収支面ではアップアップです。やっと生きています。こんなん買うことなんか絶対に無理です。
 その後ワシは、無理とわかっていても念のためにいろいろとチェックしてみました。
 点検簿はOK,メーター巻いた痕跡なし。内装極上。タイヤに変な摩耗ない、板金なし。要するに程度極上、掘り出しもんでっせ。昨年出たばかりの33R。初めて実物見たのが今日の今。
 結局ワシは、支払いのことは何とかあとで工面することにして、この33Rを契約してしまいました。込み込み440万になったのは、基本的にお金がないので、セルボモードはもちろん下取りに出したからであります。店長さんもたぶんこの車を持て余していたみたいというか、この町では絶対に買う人はいないと思っていたというか。
 今考えると恐ろしいことですが、まだまだ若かったというか何も考えてなかったというか、33R一台で日々の生活から通勤から家族の送迎まで何とかなると思っていたのでした。あっそうか。レパードがあったんだ。ローン付きで
ほんの三年前の32Rのときの体験が全く生きてないというか、バカというか。
そいでもって平成8年の7月から33Rとの生活が始まりました。お金が無くて仕事もなくて、生活のために2月に32R泣く泣く売ったばかりだったのにね。もうこの手の車には絶対に乗らんって誓ったばかりだったのにね。今もお金もないのにね。仕事も辞めて帰って来たので臨時雇いの身だったのにね。
 そいでもって33Rはどんな車だったかっちゅうことですけどね。一言で言うと32Rに比べて速くて快適で乗りやすい車でした。
 例のね高速道路のね。深夜のね。32Rで200(単位なしね。問題になりそうなので)超えるとちょっと落ち着きがなくなってくるなあと。ふらふらしてちょっとハンドル修正したりしていたけど、それでも国産車では信じられないくらい安定していてすごい車だんたんですけどね。
 ですけどね。33R。まったくというか根本的に安心なんです。同じ速度で同じ道で、バシッとまっすぐ走ります。なんか、スピードが上がるほど道路に張り付くような感じで安定しているというか怖くない。空力の良さも実感というか、超高速でも余力があるというか、加速していくというか。
 コーナーね。途中からぐっと踏んでもアンダー出ません。当然立ち上がりが速いだな。中も広くて静かで快適で32Rのネガな部分を一つ一つ丁寧につぶしていったような感じでした。ただ、内装が安っぽいのと立ち姿(外観)が不細工な点を除いてはね。
 33R、ちまたではいろいろと言われていましたが、車としてのできは32Rをはるかにしのいでいたと断言します。だってワシ、オーナーでどちらも数年間所有してましたもん。
 33Rの欠点はカッコ悪いことであります。それ以外はすべて良し。と言いたいところですが、クルマにとってカッコ悪いってある意味致命的だと思いますよ。特にこの手のクルマに乗る人にとっては。
 結局、33Rですが、こんな高速道路も通ってないような山陰の田舎町では、結局性能を発揮する時も場所もなくて、燃費が悪いとか乗り心地が悪いとか、気を遣うとか疲れるとか、ネガな部分だけが気になるようになって、結局2年半で手放すことになってしまします。
 そういえば、32Rに比べて、写真もほとんど残っていない(撮っていない)ことも、ワシがこのクルマを最後まで好きになっていなかった証拠かも知れません。
 R33GTR。マイナス21秒ロマン。
 いろいろな制約の中で、それでも日産の技術陣が誇りをかけて意地になって作ったと聞きました。まぎれもないホンモノでした。だから、Rのオーラを身につけた名車に違いありません。

ブルーバードSSS ツインカムターボ

昭和61年式
  U11ブルーバード SSSーS
ツインカムターボ
~バブルに向かって~

ブルーバードマキシマのことで、すっかり懲りてしまったワシは、車のことなんか忘れて、しばらく大人しくしようと思ました。
 そいでもって、マキシマを買った山口日産宇部支店に行って手放すことを伝えました。
 今度は軽自動車でええのです。雨風がしのげて通勤に使えて、ちょっと荷物が運べて、そんなもんで車はええんです。当時の日産は軽自動車の販売をしてなかったものですから、マキシマのことが落着したら、そのままスズキかダイハツに行って中古車でも探そうかと思っていました。
 8月上旬よく晴れた平日の真っ昼間から、世の人は汗水垂らして働いているというのに、山口日産の冷房が効いたショールームで、なじみのセールスの河村さんとアイスコーヒー飲みながら話し込んでおりました。
「すんませんが電話でお話したとうりに、マ キシマを手放します。こう立て続けに災難 ばっかり降りかかってきたら、次はきっと 死ぬか人轢くかどっちかのような気がしま す。」
「私もそう思いますので、できるだけのこと はさせていただきます。先生と私との間柄 ですから、遠慮なく言ってください。」
「軽自動車に乗り換えようと思ってます。も う走ればええですから。」
「それならスズキのセールスを紹介しましょ う。マキシマの下取りは目一杯出させても らいますから安心してください。でも先生 がうちから離れていくのが残念です。」
 お互いにしんみりして今生の別れのごとき台詞を吐いておりました。このとき更正して軽自動車に乗っていれば、今みたいに車貧乏になることはなかったと思いますが、神様ってまだまだワシに車を買わせるつもりだったみたいです。
なしてか知りませんが、整備工場の、フロントガラスが割れたワシのマキシマの横にすごくかっこいい真っ白なブルーバードが置いてありました。マイナーチェンジで内外装やエンジンが大きく変わった新型ブルーバードであります。
何がカッコええかといえばそのスタイルであります。ブル伝統の四角いヘッドライトの間の不思議なデザインのグリルにFFを活かしたワイドトレッドとオーバーフェンダーにとどめはダックテール。エンジンルームにはツインカムターボ化されたCA18DET145馬力が収まり、パワーを誇示する赤いヘッドに2本だしのエギゾーストマフラー。なんかマイナーチェンジとは思えんぐらい変わっていました。
 当時の日産は、こんなすてきなマイナーチェンジをやってくれる会社でありました。Z31なんか、ボディをほぼ全面的に手直しして③ナンバー専用ボディにしたり、R31スカイラインなんか、エンジンを換装してクーペボディにして「その時精悍」になったりと、日産車はマイナーチェンジまで待って買えと言われていたほどでした。
新型ブルーバード。見れば見るほど本当にかっこいいと思ってしましました。
「ちょっとエンジンかけてみても いいですか。」
「どうぞどうぞ。キーはついていますから。」
 そいでもって、ワシは真っ白いサッシレスのドアを開けて運転席に気をつけて座りました。室内はスポーティなモデルらしく黒を基調にした精悍な感じでした。シートもええのう。サイドが盛り上がってサポートも座り心地もええです。キーをひねると静かにエンジンが始動しました。以外とジェントルな感じじゃなあと思いました。でもアクセルをちょっとだけ踏み込むとクオーンといい声で吠えてくれます。
 ワシは、この車が欲しくて欲しくてたまらんようになってきました。何かこれこそ、ワシが求めていた本当のブルーバードの姿だと思い込んでしましました。
 ショールームでは、河村さんが書類を用意して待っていてくれました。最後の別れに行ったらものすごい美人にあって一目惚れしたような感じでした。
「ワシ、新型のブルを買います。」
 河村さんは、ちょっと驚いて、それからいつもの人懐こい笑顔になって
「ありがとうございます。目一杯やらせていただきます。」
とおっしゃったのでした。

夏休みの終わって、秋の運動会が終わった頃、そのブルはやってきました。
 周りの人は、口をそろえて
「かっこいい。」
といいます。ワシもそう思いました。真っ白で面が角角っとしとって、ランプ類も大きめで、実際よりも大きくてゴージャスな車に見えます。この「大きくゴージャスに見える」ことこそバブルに浮かれている我々にはとっても重要なことだったのです。それからツインカムターボというエンジン。性能自体はたいしたことはなかった(と乗って感じた)のですが、こういうスペックが大切だったのです。他にもスイッチオンでウイーっとカバーが開くフォグランプにヘッドライトウオッシャーにワイパー(ヘッドライトのだよ)音は二の次で電飾バリバリのオーディオ類。あんまり意味をなさなかったショックアブソーバーの切り替え機構。でもこういうとこが買う側にとっては大事だったのです。バブルだから。
 この辺りから、やっと日産は、売れるためにはどうすればいいのかをやっと考えるようになってきました。要するに時代を少しは読むことができるようになってきたのだと思います。フルモデルチェンジで大騒ぎして発売した車が、ことごとく売れないというか何か変で勘違いしいていて大失敗の評判最悪のみんながそっぽ向いてえらいこっちゃ。それから二年、じっと考えてマイナーチェンジでけっこう大胆にあちこち変更して、こりゃあかっこいい。エンジンだって換装してるし走りもまったく別物。スタイルだってこれがさっきのあれですかと思うほどのかっこよさ。
「日産の車はマイナー後に買え」という鉄則はこの頃にできたように記憶しています。
ワシは、このこのブルが、これまでのブルの中で一番好きで逢うす。なしてかというと、かっこいいからです。

ブルーバードマキシマ~(ある意味)想像を超えていた~

昭和60年式
  ブルーバードMAXIMA
V6 2000ターボ ルグラン
~(ある意味)想像を超えていた~

プロローグ

 もしもですよ。直4専用1800CCぐらいのFRのファミリーセダンがあったとしますよ。
 そのエンジンルームを10㎝延長して、Zに乗っているV6 2000CCターボ付170馬力のエンジンをぶち込んだら、どんな車ができると思いますか。
日産って、ときどきこんな楽しいことをやってファンを喜ばせてくれます。
 そうやって真っ先に思い浮かぶのが伝説のスカイライン54Bでして、元祖「羊の皮を着た狼」であります。
ですから、同じような手法で作ったブルーバードMAXIMAは、きっとすごいじゃじゃ馬で、アクセル一踏みで、ウイリーしながら周りの車を蹴散らしていく・・・そんなことを想像したのは私だけではなかったと思います。しかも元は、ブルーバードSSSターボなんですから。
そんなとき、突然のテレビCMで見てしまったんです。
 アメリカのどっかの長い長い橋の上をワープしながらものすごく速く走る姿を。それからキャッチコピーが入ります。
「想像を超えていた。」
「ブルーバードMAXIMA」
という内容だったと記憶しております。まあ、高くて高級な車に見えましたから、あんまり興味が湧かないというか、自分には関係のない世界の出来事だと思っておりました。
 そうこうしているうちに、前にも書きましたが、910ターボが私のアホな行為のために壊れてしまいまして、それから修理費がかかるのでいっそのこと買い換えたらどうですか、とか親しいセールスさんに勧められたりしまして、なしてか知りませんけど、気がついたらMAXIMAを買ってしまっていて、確か昭和60年の9月だったと思うんですけど、我が家に夢の車だった白&グレーツートンのMAXIMAルグランがやってきたわけであります。初めての高級車、初めてのV6、初めてのFF(えっ?)何もかも初めてづくしです。資金ですか?勤務先の互助会から借りましたよ。これで、借金200万円ぐらい、8年払いの四苦八苦の始まりですよ。

 納車 そして・・・ 

 そうやってMAXIMAとの密月が始まって、ちょうど私も結婚したばかりで、穏やかで平和で幸せな日々が流れていくはずだったのですが、そうは問屋が卸さないのが私の運命です。
 何があったって?それでは紹介して行きましょう。もう思い出したくもないですけどね・・・。分かりやすく時系列でいきますので。よく見とってくださいね。
 9月上旬、納車でしょ。
 9月中旬(というか2週間後)メーターが壊れてユニット交換しました。走行距離も0に戻ったし、まあいいかっていう感じで、別に気にもしませんでしたけど。
 10月の土曜日のことでしたよ。
 どっかに遊びに行こうとして、交差点を左折したら、後輪が縁石を擦って、そんなにスピードも出ていなかったし、ショックも少なかったので、それほど気にもしなかったのですが、念のために一応停めて見たら、後左タイヤのサイドウオールがぱっくり裂けていて、みるみるうちに空気が抜けていくじゃあありませんか。
近くのスタンドに飛び込んでスペアに交換して、遊びに行くのをやめて、日産に持っていったら「修理不可能」とのことで、新品タイヤを買うはめになりました。ガーン。
 11月になりました。
 もうすっかりパンクのことなんか忘れてしまっていて、快調快調な毎日を送っていたつもりの、これまた土曜日のことでした。
 仕事帰りに、買い物するために、いつもとちょっと違う道を通っていました。びゅんびゅん車が走る、4車線の国道190号線の下を潜った瞬間であります。
 なんかが、ビシッとフロントガラスに当たったかと思った瞬間、全面に細かくひびが入って前が全く見えなくなりました。あー驚いた。何とか車を停めて、降りてみたら悪魔のようなことになっていて、フロントガラスなんか割れたことないし、当時携帯もなかったので、どうしていいかわからずに呆然とするしかなかったと記憶しています。幸いにも日産が近かったので来て貰って修理して貰ったのですが、しばらくの間、掃除をするたびにガラスの破片が車の中から出てきて嫌になったのを憶えています。ちなみに、当時のフロントガラスは、すべて合わせガラスではなくて強化ガラスですから、ケガはしないんですけど、結晶状にバシッと全面が割れて、前が全く見えなくなって大変だったんですよ。
次、12月です。
 忘れもしない24日の朝のことでした。いつも通勤で使っていた裏道の信号のない交差点で、通過寸前に、一時停止を無視した軽自動車が左側から突っ込んできて、新車(だった)MAXIMA大破ですよ。大破。これでめでたく事故車になりました。買って半年も経っとらんのに。
 毎月のように、けっこう大きな事が起こるMAXIMA。しかもだんだん事が大きくなってきています。次はきっと人を轢きますよ、この車。いくら脳天気の私でも、そう感じざるを得ない状況です。あーどうしよう。
 すぐに車を買い換えたい状況ですが、死ぬほど借金があって無理です。仕方がないので、慎重に無理せず、ゆっくりゆっくり乗っておりました。V6ターボなんか使っている場合ではありません。あと、お守り下げたり、神社でお祓いしたり、自分の言動を改めたりなど、本当に禁欲の毎日でありました。
 そうこうしているうちに、何事もなく、冬が終わって春が来て、それから夏になりました。苦労の甲斐あって、何事もなく平和に8ヶ月が過ぎていきました。もう大丈夫ですよね。安心安心。
 そして8月のことでした。
 今日は休みだから、帰省前に洗車でもして
すっきりしようと、少し早起きして、着替えて、駐車場に行ったらね。
 運転席のドアを開けたら、なぜか助手席にこぶし大の石が置いてあります。
 ???・・・
 パッと見たら、フロントガラスがかつて見た事のある悪魔の光景に・・・。
 フロントガラスが割れとるじゃあないですか。なんで?夢?夢じゃろうねえ。でも夢じゃあない。冷静に考えてみると・・・。
そうです。どっかのアホが、この石を思い切り。故意に、悪意を持って投げつけやがったんですよ。フロントガラス大破。石は勢い余ってフロントがワスを貫通して、助手席のシートの上に転がった、そうしか考えられない状況で、気絶しそうになりました。
 室内はまたもや強化ガラスの四角い破片だらけでもう大変です。
 やっと状況を理解した私は、すぐに警察に電話をかけました。それから、なぜかギャランに乗ってやって、やる気なさそうにやって来たおまわりさんに、死ぬほど必死で説明しました。一応被害届をだしまして、犯人見つけて死刑にして欲しかったのですが、結局それ以降はなしのつぶてでありました。警察さん、忙しいのはわかるけど、せめて石の指紋採ったり、聞き込みしたり、それなりに捜査をして欲しかったなあ。
 警察の方がとっとと帰ってしまったので、日産に電話をしました。それから、知り合いのセールスさんに来て貰って、車を修理に持って返ってもらう時に、
「もう売ります。」
と、力なく言いました。
 まだ1年経っていませんけど、もう力つきました。もう、野たれ死んでも(お金がなくて)いいので、車を買い換えることにしました。セールスさんの方が、警察よりよほど親身になって対応してくれたと思います。まだ仲の良かった妻も賛成してくれました

エピローグ
 
「結局、MAXIMAはどうだったのか。」
ということなんですが、想像していたよりずっとジェントルで、速いことは速いんですがなんかスムーズ過ぎるというか、ターボがどこで効き始めるかわからないというか、トヨタ的というか、一言で言うと「FFのマークⅡ」みたいな、まったく日産らしくない車だったと記憶しています。(マークⅡ、何度か試乗に行って乗ったことがありました)
 路面をセンサーで感知してショックの強弱を切り替えるスーパーソニックサスだとか、60タイヤとか、オートエアコンにパワーウインドウにパワーステアリング、ふかふかのシートに電動ランバーサポートまで何でもついていました。
 豪華で静かで、そこそこ速くて、見栄えが良くてエアコンもよく効いて快適な高級セダン。いい車はいい車だと思います。
 でもね、あえて日産車、あえてブルーバードを買おうちゅう人は、そんな車を求めているんではないように思うのです。私なんかすぐに「しまった」と思いましたもの。
特に、私みたいな、車で速く走ることの大好きなアホには、その良さというか価値というか、そういうMAXIMAの良さがわかりませんでした。つまらん車じゃなあと思うようになってしまったのです。
「車は売っても買っても損をするものだから、 気に入ったヤツととことんつきあいたい。」
徳大寺有恒先生のありがたいお言葉です。
 私も、「間違いだらけ」第1巻から愛読しさせていただき、車がないときは、「間違いだらけの運転テクニック?」読みながら座椅子に座ってダブルクラッチの練習していたほどのファンでしたので、このお言葉をいつも心に焼き付けてはいたのですが、現実はそうもいっていられない状況がおこるのですね。 今考えると、きっとこのあたりから、私の車貧乏生活が始まっているような気がするのです。ついでに新婚生活もほころび始めていくのですが、まだ若くて世間知らずだったので、それほど深刻になったり、悩んだりすることもなかったのは、不幸中の幸いというか若さって素晴らしいというか、後になって後悔することにきっとなっていくのです。
 

新型!フォレスターの良心

令和元年フォレスターSK型
   ~フォレスター(ブルータス)
     おまえもか!~


プロローグ

一昨日、すごいことがあったので忘れないうちに報告しておきます。結論から言うと、ワシのフォレスター(SJ型2013年式XT走行約二万キロ)が壊れました。
 ワシのフォレスターは6年落ちですが、日頃は車庫に入っています。冬場はちょっと乗りますが、あとはちょっと遠出する時かデートの時か、半年毎の点検のときに出動するぐらいで、ほとんど乗る機会もありません。年式の割にピカピカでタイヤもほとんどすり減っていないし、内装も極上状態です。ただ、タイヤが固くなってきたのでそろそろ交換せんといけんなーと思っていました。もちろんオイルも半年ごとにディーラできちんと交換しています。
 初めてのスバルでしたが、使い勝手と速さと悪天候での信頼性やその他諸々ですっかり気に入ってしまい、もう6年も所有しています。ワシの車歴としては、最長の部類です。そのフォレスターがまったく予期せぬ壊れ方をしてくらたのです。
 8月5日の日曜日の夕方のことでした。明日は高速通ってはるばる200キロ。九州に用事に行くことになっていました。車に関しては割と神経質なワシは、給油と空気圧調整のために近所のガソリンスタンドに行きました。そのとき、左後輪とホイールハウスのすき間がやけに近いことに気づきました。そういえば車体が左側に傾いているようにも見えます。
「???。」
と思ったワシは、親切なスタンドの兄ちゃんに相談し、早速ジャッキアップして見てくれることになりました。そこで見つけたのは、左後輪のスプリングを支えている受け皿のようなものが外れてバネの間に挟まっていて、それによってバネ長が変わって車高がぐっと下がっていることがわかりました。自走不可能です。スタンドのお兄さんもあまり動かさない方がいいと言ってくれました。それからワシもスタンドの兄ちゃんも、こんなになったのを見たことがないということでしばらく呆然としていました。
 ワシは家にゆっくりゆっくりと気遣いながら運転して帰りました。それから、フォレスターを購入してからずっと面倒を見てもらっている隣の市のスバルのディーラーに電話しました。すると・・・。
「本日の業務は・・・。」 
という留守番電話。そうかもう七時を回っているので閉めたんかあ。明日朝一で電話しよう。そうしよう。でホームページ見たら明日の月曜定休日って書いてあるし・・・。どうしよう。困ったぞ。こういう時こそ冷静に考えようと思うことができるようになったのは、年齢を重ねたワシの大きな進歩です。
 まず、明日の仕事のキャンセルです。これはうまくいきました。それからネットで調べて山口市の本店が出てきまて、そこにメールができるようになっていましたので。ワシは必死でメールをしました。
「突然すみません。貴社萩支店で購入させていただいたフォレスターが走行不能になって困っています。2013年式XT走行22000キロです。
 本日七時頃、給油のためにガソリンスタンドに行った際に見つけました。左後ろが下がって、左後輪とホイールハウスが接触すれすれになっています。ジャッキアップして見たところ、左後輪のバネを支えている下側の受け皿が外れてバネを支えられなっています。とりあえずゆっくり家に帰ることができました。とても困っています。ご連絡ください。よろしくお願いします。
  ○○○○ ℡090△△△△××××」そういう内容のメールを送って、もう仕方ないので明日のことはすべてあきらめて、あまり期待せずに待つことにしました。まあ、萩は明日は定休日だから、明後日の朝一で電話してみるか・・。ぐらいの気持ちでした。
 それからワシは、この異常事態を、何かが行くのを止めてくれたんじゃあないかと考えました。予定通りに高速に乗っていたら、逆送の車に遭遇して正面衝突していたかもしれないとか、トラックに追突されて死んでいたかも知れないとか。ワシは基本的にそんな風に考える人間なので、さして落ち込んだりしたわけではないのです。妹も同じことを言いました。なんてプラス思考の家族なんでしょうか。まあ、高速に乗ってから、バキッときたら間違いなくひどい目に遭っていたに違いありませんから、前の日に折れてくれて、前の日に見つけることができて、それはそれでラッキーだと思いました。
 翌日の朝の九時過ぎに、携帯がなりました。
出てみるとメールを送った山口の本社からでした。それでワシの話を
「大変でしたねえ。」
と丁寧に聞いてくれた上に、萩にすでに連絡してあるので、ローダーで引き取りに行くという何とも驚くくらい迅速で丁寧な対応をしていただきました。すごいなあ。山口スバルさん。
 結局ワシの都合で、午後3時に自宅まで来てくれることになったので、用事を済ませて二時半には家に帰って、コーヒー飲んで待っていました。すると3時ちょうどに、ピンポーンと鳴って、とても丁寧で礼儀正しい若者が来てくれました。
 外にでると、ローダーの上に、白い新型フォレスターが積んであって、お願いもしなかったのに、こんなに良い車を貸していただけるなんて、本当に感謝感謝の気持ちでいっぱいでした。
 兄ちゃんは、新型フォレスターをローダーから降ろすと、代わりにワシの車高短フォレスターを丁寧にローダー積載して、挨拶をして帰って行きました。
 ワシは、すぐに萩のスバルに電話してお礼を言いました。ついでに、新型フォレスターみたいなしかも走行1300キロみたいな良い車を借りたら申し訳ないので、明日返しに行くという旨を伝えました。ワシには、スズキアルトという相棒がまだいますので、フォレスターが入院してもあまり不自由はしないのです。ところが、
「いいですよ。返すときにガソリンを満タンにしてくれたら。どうか自由に乗り回してみてください。」
とさわやかにおっしゃいましたので、ワシ
はお言葉に本当に甘えて、この機会に新型フォレスターで九州に行ってみようと(延期してもらった仕事をしに)決めていたのでありました。
 さっそく取説を出して、基本操作を何となくですが確認しました。それからETCがついていることも確認して、8日に行くことにして準備にとりかかりました。楽しみじゃのう。
 
新型フォレスターSK型

初対面の印象ですが、幅が広がって車高が低くなって、この種の車としては最も悪いパッケージングになったなあと思いました。時代の流れと申しますか、どんどん車幅が広がって屋根が低くなって全体的に平べったい印象の車が増えてきています。確かに低くて平べったい車はカッコウがいいのですが、運転すると最悪です。1800mmオーバーの車体はここ日本では大きくて扱いにくいことこの上ないのです。車高が低いのでどうしても座り込んでスポーツカーのように寝た姿勢になって運転することになります。幅の広い車をこのような姿勢で運転することは苦痛以外の何者でもありませんが、機能よりもデザイン優先で車を知らん人々をだましてインチキ商品を売りつける。あるいは売れれば正義的な最近の車業界は、昭和50年頃に退化して閉まったのでしょうか。実はアメリカがらみだということは誰でのしっているのですが、生き残るためにはこんなパッケージングにせざるを得ないことに悲しみを感じるのはワシだけでしょうか。
 さて、本題にもどります。というわけでパッケージングを見た瞬間、
「フォレスターおまえもか。スバルよ。あなたもですか。」
と思わずがっかりしてしまいました。それから、いつもの習慣で、出発前にぱかっとボンネットを上げたらえらい重いんです。ワシのフォレスターは、アルミボンネットでダンパー付きで見えないところに金をかけているというスバルの伝統が息づいています。ところが新型は、思いっきり鉄の思いボンネットを安っぽい棒で支えるという非常にトヨタ車てきな作りになっていました。これはあまりきたいできんのうと確信しましたが、どうしてもその日に北九州に行かなければならなかったので、とりあえずこの車に乗って出かけることにしました。

   フォレスターの良心

 ところが、乗ってみるとこれは紛れもないスバルの良心で作られたフォレスターでした。あまり期待していなかった2500ccのボクサー4は発進から力強いパワーを発揮してくれます。乗り心地も良くなって静かになって非常に乗りやすい。大きくなった車体もあまり感じさせません。
 いちばんびっくりこいたのは、アイサイトバージョン3であります。ワシのバージョン2よりも遙かに運転が上手になっているではありませんか。ワシのは多少ぎくしゃくしたりブレーキの制動が感覚とちょっとずれて冷やっとしたりで、まだまだ人間の運転には敵わないと感じる部分もあるのですが、新型はまったく別物です。スムーズというか違和感が全くないというか、これなら安心して任せられるという感じです。
 そいでもってやっと高速に入ったんで、いつものように前車と捕まえて追従クルーズに入って楽をします。
 ピッという音とともに前の車を捕捉。あとは楽ちんクルーズにお任せです。これはワシのフォレスターも一緒ですけど、さらにびっくりしたのは、ハンドルにそっと力が加わってハンドルを切るように促します。すごい。それからは、何の苦労もなく、促されるままにハンドルをちょっと切りさえすれば、あら不思議。ちゃんと北九州に到着しました。もちろん途中で車線変更したりの自分で運転する場面もありましたが、はっきりいって楽でした。安心でした。すごいぞ、アイサイトバージョン3。
 音も静かで、水平対向エンジンのどこどこ音は見事に沈黙していますし、車体剛性だってサスペンションだって、とにかく静かで楽で高級車感いっぱいです。
 この型になったとき、伝統のターボ仕様がなくなって、お嘆きの方々も多かったようですが、2500のこのエンジンで必要十分という感じでとにかく運転しやすい。
 ワシは、幅が広がって天井が低くなって内装が高級になって電子制御満載で、まるでトヨタ車のようになってしまったフォレスターをみて「おまえもか。」と嘆いていたのですが、往復400㎞乗ってみて、やっぱり質実剛健のスバルが作った良い車だなあと改めてフォレスターの良心を感じました。

 追伸
 3日後にワシのフォレスターが直ったという連絡があったんで萩まで取りにいきました。折れたバネを見せてくれましたが、1/3ぐらいまで錆が進行していて、残りの2/3が絶えきれずにポキッと折れたということでした。生々しい断面を見て、ワシは、
「あのとき折れてなかったら、下手をしたら 高速で死んでいたかもしれんなあ。」
と、ぞっとしました。原因不明。確かに家は海に近いのですが、ほとんど屋根付き戸付きのガレージに保管してあって点検もきちんとディーラーで受けてあって、きちんと洗車もするし水切りだって万全だし、とにかく過酷な条件では一切使用してないのに、ワシも生まれて初めてこんなことになって非常に困惑しましたが、素晴らしい山口スバルさんと萩のスバルの代理店さん(この春から正規の営業所が撤退したためスバルショップ萩に委託になっている)の非常に迅速で丁寧で感じの良い対応にすっかり魅せられてしまい、またここで買いたいなあとか思うようになりました。
 本当にまれに見るケースでした。六年も経っていたのに、無償で修理してくださったスバルさんありがとう。ついでに6年も経過していたタイヤも替えてもらい、新車のような乗り心地になりました。
 でも、新型に一週間ぐらいのっていたので、ワシのフォレスターは、小さくチャちく簡素に感じてしまいました。

夏の終わり

どんな色かを聞かれたら
たぶん青だというでしょう
夏の終わりの青の色 
どんなものより色あせて

どんな音かを聞かれたら
たぶん雨だというでしょう
夏の終わりの雨の音
どんなことより悲しくて

あれほどの
夏が燃えつき消えて行く
まるでそう
ひとの心の絵のように

たそがれの雲の切れ間にあかね雲
夏の終わりのことでしょう

東京

東京にいきました
電車がいつも満員で
次から次へと着きました

東京にいきました
ホテルがとても高層で
エレベーターを待ちました

夜景が続く街でした
何でもあって華やかで
おしゃれできれいな人ばかり
おしゃれできれいなとこばかり

それでも僕が東京に
住むのはきっと無理でしょう
身体も心も疲れ果て
帰る日だけを待ちました




梅雨空

あの頃は
せまい板張りの部屋から
やっと見える梅雨空を眺めて
ため息ばかりついていた
もうすぐ夏が来る

あの時は
せまい窓の向こうに
きっと見える未来をみつめて
湿った風を感じていた
もうすぐ夏になる

若さだけが
無知で気づかないことだけが
僕の強さだったのだと思う
雨の音さえ怖くなかった
あの頃の梅雨空

かげろう


季節が三度変わったから
少しだけ大人の心になりました

命の気持ちやため息が
少しだけでも
わかるようになりました


時間が歩いて行ったから
少しだけ優しい心になりました

緑の風や木漏れ日が
少しだけでも
聞こえるようになりました

かげろうみたいに
ちっともちっとも
わからない
あなたの心が聞こえない



生きるコツ

忘れてもいいことは
さっさと忘れてしまおう
思い出しても仕方がないことは
記憶の彼方に捨ててしまおう

どうしようもないことをくよくよ考えても
どうしようもないことなんだから
そういうことにやっと気がついて
少しだけホッとしている自分がいる

そうやって
心を軽くして
少しでも
自分を休ませてやろう

それが生きるコツだと
ようやくたどり着いた



蒼い雨

六月の空の彼方に
たくましい雨雲が生まれて
待ちかねた命たちを
包み込む蒼い雨

梅雨空の山の彼方に
優しい木漏れ日が射して
光立つ木々の木霊に
呼びかける蒼い雨

もうすぐ梅雨が開けるから
さあ 今のうちに
灼熱の太陽に負けないように
降り注ぐ蒼い雨

いろんなことがあるかも知れないけれど
きっと君のためになるに違いないからね




せめて君のために

初夏の風が
ここちよい午後のひとときを
今でも連れて来きてくれるから
せめて君のことを思い出していよう

初夏の色が
鮮やかな午後の日差しを
今でも映してくれるのだから
せめて君のことを考えていよう

今でも待っていてくれるのかい
今でも涙を見せないのかい
それからさよならと言って
歩いて行くのかい

それでも僕は忘れない
せめて君のために

五月雨

僕が今日までの間
いただいてきた命たちには
本当に申し訳ないけれど

僕をこれまでの間
生かしてくれていた命たちのことは
絶対に忘れないけれど

どうやらそれらのすべてを
返すときがやってきたようだ
いよいよやってきたようだ

ありがとう命たち
めぐりきてくれた命たち
たくさんの命たち

今度は君たちのために降りそそぐ
この緑色の雨のように










コアラ④ 「コアラと汚部屋というかゴミ屋敷」

 コアラの部屋は汚部屋というかゴミ屋敷です。まだ「汚部屋」という言葉が一般的になるずっと前のことだったので、ある意味コアラは時代の最先端を歩いていたことになります。
 コアラは独身で教員住宅に住んでいます。コアラは他人を家に入れることがほとんど無かったので、その生態はベールに包まれていました。ただ、用事があって訪ねていった人が「家に入れてもらえなかった。」とか「玄関先で話したけど物が多くてそれ以上入る隙間が無かった」とか野良猫が自由に出入りしているとか噂はいろいろとありましたので、みんな薄々そうじゃあないかと思っていましたけど。
 決定打になったのは、さるじろう先生が、コアラに頼まれてコアラの留守宅に財布を探しに入ったことです。ちなみにさるじろう先生の教員住宅はコアラの隣でした。
「もしもし。コアラですけど。」
「おう、どうしたんか。」
「ワシ今、広島に来とるんですけど、財布が無いことに気がついて。すまんですけど、家 に入ってベッドのところに財布があるか確認してもらえませんか。裏の鍵は開いちょり ますけえ。心配でやれんのですよ。」 
「わかった。」
こうしてさるじろう先生は、裏口からコアラの部屋に入っていったそうです。そのときの話を後日伺ったのですが、こんな感じでした。
「それで、財布はみつかったんですか。」
「財布らしき物はベッドの上にあった。でも見ただけで手にとって確かめられんかった。」「おかしいことを言いますねえ。どういうことですか。」
「じゃから、ベッドのところまで行かれんかった。通路がなくて。」
「はあ?」
「部屋がゴミだらけで歩く場所がなかった。畳の部屋なのに畳が見えんかった。あいつは すごいで。すごいところで生活しとるで。」
「他の部屋はどうじゃったんですか。」
「恐ろしゅうて見に行けんかった。」

 コアラは節約家です。自分の物を捨てるのが大嫌いです。そのくせ浪費家でもあり、いろんなものを本能に任せてどんどん飼ってきます。つまり物理的に考えると、コアラの巣(家)は、いつかは容積面で必ず限界が来ることが予想されます。そしてとっくに許容量を超えていたと想像できます。

 先日、数十年ぶりにコアラと会い、コアラのアルファードで送ってもらったというさるじろう先生の談話です。
「コアラは出世してアルファードという大きな車に乗ってきたんよ。」
「すごいですね。トヨタの高級車じゃないですか。」
「アルファードって何人乗りと思う?」
「8人でしょう。余裕で。」
「違う。2人乗り。しかも縦に。」
「どういうことですか。」
「コアラが迎えに来てのう。助手席に乗ろうとしたらビニールゴミの束みたいなのが乗せ てあっていっぱいで乗られんのんよ。」
「はあ。」
「それでスライドドア開けてくれて助手席の後ろに乗り込んだんよ。」
「アルファードじゃったらその方が広かったでしょう。」
「いいや。そこは1人しか乗れないんよ。隣の席には何やら積んであって足下もゴミが積 んであって、三列目は服やらジャージやらでいっぱいで、結局コアラのアルファードは 2人乗り。」

 何がなんだかわかりませんが、ここで得た教訓とは、年を重ねようと、結婚しようと、日本人学校に赴任して出世して教頭になってアルファードに乗ろうと、ついでに離婚しようと人間の本質はそう簡単にかわらないということですかね。
 僕はそんな価値あるコアラらしさが大好きです。

コアラ③ 「コアラとシーホーク」

コアラも三本目になりますと、いろいろと反響というものが少しは出てきます。ほとんどは「これはワシのことですか」という苦情です。
 この際だからはっきり言っておきましょう。これは私が勝手に考えた物語、フィクション、創作であります。実在の人物ではありませんのでご了解いただいたらと思います。

 世の中がミレニアムとかで盛り上がっている頃のことでした。福岡ドームとシーホークが完成し、ダイエーホークスが絶頂期のころでした。
 動物なのにプロ野球大好きのさるじろう先生が、大好きなライオンズ対ホークスの試合をシーホークに泊まって福岡ドームで見たいと言い始めました。この時期に、このセットを組み合わせてチケットなり予約なりを入手することがどれだけ困難なことか。某所得最低県の末端で生きている我々さえ容易に想像できることでした。特にシーホークがきつくて夏休みの時期に三部屋取るなんて絶対に不可能でした。
 しかし優しくて面倒見のいいさるじろう先輩先生のために、何とか夢を叶えてあげたくて、我々は四方八方手を尽くしました。
 福岡ドーム「ライオンズ対ホークス」内野のチケット予約席3枚は、隣の県にあったセブンイレブンで何とか入手できました。しかしシーホークは案の定無理でした。さるじろう先生もすっかりあきらめてバナナを食べる姿にも元気がありません。結局チケットがもったいないので福岡の別のホテルに泊まって福岡ドームに通うという案でいくことになっていました。
 そんなある日、コアラが職員室に帰ってきてあっさりと言いました。
「8月10日から2泊シーホークを取りました。シングル3部屋でええですよね。」
「?!!!」
「そんなことなしてできたんか?」
「ネットで予約したんですよ。」
「???」
 当時はまだまだネットが普及していなかったので、インターネットと言えば我々一般人には敷居が高かった時代です。そんな頃に、いやそのずっと前からパソコンをいうものを駆使していろいろと我々を驚かせてくれていました。一番驚いたのはその価格で、軽自動車が買えるぐらいだったと思いますが、コアラの生活レベルと比べて非常にアンバランスだと思ったことがあるのですが、さすが東京電波学校卒と言うこともあって、その方面には精通していて、周りからは一目置かれておりました。
 コアラの話によると、シーホークにはネット予約というシステムがあって、まだまだ一般人は知らないのでその枠が残っていたということでした。昨夜コアラの家のインターネットでアクセスして予約に成功したということでした。わけの分からないさるじろう先生と私は、とにかく良かったということとインターネットってすごいのうということで一安心して、しばらくはコアラを尊敬の眼差しで見ていたような気がしています。

 そんなこんなで、いよいよ8月10日の出発の日を迎えました。朝からさわやかな夏晴れで、3人は気分上々でコアラのトヨタの大きな4WDに乗り込んでいよいよ出発です。コアラは学生時代に東京に住んでいたので、福岡ぐらい何でもないということで運転を任せることにしたのです。まさにコアラさまさまでした。
というわけで中国道乗って、関門橋渡って、福岡の都市高速に入って、途中で休憩したり景色見たり食事したりしながら、15時前には無事にシーホークの広い駐車場に車を入れることができました。そいでもってそれぞれの荷物持って、シーホークのロビーにたどり着くことができました。順調すぎて怖いぐらいです。
「それじゃあワシがチェックインを済ませてきますけえ、お二人はここで荷物を見とってください。」
そういって、コアラは鞄からA4ぐらいの印刷物を取り出すと、それを持って颯爽と受付に向かって行きました。
 私は、シーホークの大きさときれいさと立派さとすごさに驚いて辺りをきょろきょろしていました。さるじろう先生は「見ていて」と言われたので、コアラの荷物をじっと見ていました。そのうち、さるじろう先生はある異変に気がついたようでした。
 ずらっと並んでいるシーホークの受付の一角でコアラと受付の方がもめているようでした。明らかに周りの空気が違っています。

「コアラがなんか揉めとるで。」
「えーっ。なんかあったっんですかねえ。」
「まさか泊まれんとかないろう。」
「それは勘弁してほしいですねえ。」
とか話しているうちに、コアラが戻ってきました。
「お待たせしました。これカードキーですからなくさんようにしてください。」
 私とさるじろう先生は、まあ良かったということでホッとしてコアラについてエレベーターに乗り込みました。
 さるじろいう先生がコアラに聞きました。
「揉め取ったようじゃけど何かあったんか。」
「ええ。予約が一部屋しか取れとらんかったんですよ。」
我々は目が点になりました。
「それでどうしたんか。」
「向こうの手違いじゃ、と言って押し問答しとったら相手が折れて空き部屋を用意してく れました。」
「この時期のようそんなことができたのう。」
「まあ、向こうが悪りいんですけえねえ。まあ、わしも確認せんかったし。よう考えてみ たら人数は入れたけど部屋数は入れんかったんですいね。それでも3人ちゅうたら普通 は3部屋取るでしょう。常識として。じゃからホテルの手違いです。」
とあっさりいいました。何事もなかったように。
 きっとホテルの人は泣いていたと思いますよ。超クレーマーもいいところです。この時期にシーホーク当日2部屋追加なんて。それにしてもコアラはまったく悪いとも思っていませんでしたし、そんな様子は微塵も見せませんでした。すごい。B型。しかも「常識」という言葉をしゃあしゃあと使っている。
 さすがのさるじろう先生も何も言いませんでしたし、私も黙って聞いていました。下手をしたらシングル一部屋に3人で寝ている自分たちを想像して。それから部屋にはいって荷物を置き、一息ついたのでした。

 コアラは絶対にシーホークのブラックリストに超クレーマー動物種として載ったに違いありません。コアラとシーホーク、皆さんはどちらに非があったと思いますか。

コアラ② 「コアラ対モモンガ」

コアラは他の動物が嫌いです。というか敵意がエスカレートして攻撃に転じることがありますので、周りの者は注意が必要です。

 9月の運動会も押し迫った穏やかな午後のことでした。
 この地区では、小学校と中学校が一緒に運動会をすることになっており、当然小中学校が一緒に練習をすることもありました。
 この春に転勤してきたばかりの僕は、初めてのことで様子がわからないので、コアラと先輩のさるじろう先生と校庭のベンチに座って一緒に練習風景をボケーッと見ていました。その向こうでは、小学校のモモンガ教頭が何やら言いたそうに、こちらをチラチラ見ながらトンボで校庭整備をしていました。常識のある僕は「手伝った方がいいかなあ。」とちょっと思いましたが、隣の先輩たちがまったく動こうとしないので、一緒になって雑談をしていました。
 校長はおらんし、うちの教頭は姿が見えんし、小学校の先生方は草むしりやら指導やらをされていましたが、うちの中学校の職員は僕たち同様に座って見ていましたし、出てこんで職員室でサボっているヤツもいて、あいかわらず小中学校間の激しい温度差をそれとなく感じていました。
 それにしても退屈でした。こうやってホケーっと座って眺めているだけで給料をもらえるなんて。僕はそことき、この学校に赴任させてくれた知らない人事のおっさんに心から感謝していました。
 2人の先輩方も退屈だったに違いありません。そのうち、さるじろう先生が障害走で遣う縄跳びを持ってきて、コアラと一緒に二重跳び競争みたいなことを始めました。僕も誘われて3人で一緒になって遊び始めました。そのとき・・・。
「こらーっ」
という怒鳴り声がしたかと思ったら、モモンガ教頭がやってきて、僕たち3人を大声でボロクソに怒りました。僕たちの態度がよほど逆鱗に触れたとみえて、それはそれはえらい剣幕で、練習していた生徒たちも何事かとこちらを見ていましたし、先生方も驚いた様子でした。つまり僕とさるじろう先生とコアラは、いい年こいてモモンガにしかられてさらし者になったのです。それからモモンガはわけのわからないモモンガ語で捨て台詞を残して興奮して飛んでいってしまいました。
 やがて、みんなは何事もなかったように元の練習に戻りました。僕とさるじろう先生とコアラは、しばらく事態が把握できずにいましたが、よく考えたらこちらの方が悪かったという大人対応で「ああ、びっくりした。」で終わりました。それから笑い話になりました。さっきのことについては、自分たちの非を認め、まじめに見学することにしました。

 この事件はとっくに終わってしまったのです。そして日曜日には小中学校で協力して運動会をやり、大成功で盛り上がり生徒も地区の方々も良い気持ちで運動会を終えることができました。夜は小中学校の先生方で楽しい打ち上げの会となりました。
 ところが1人だけ、この前のことを根に持って、未だにもやもやした気持ちでいる動物がいたのです。
 そういえばコアラは、打ち上げの席にモモンガがいないことをしきりに気にしていました。小学校の先生に
「教頭は(呼び捨て)なしておらんのですか。」
「実家に急用ができて帰りました。」
「ふーん、そうですか。」
といいながらお酒をガボガボと飲んでいました。

 打ち上げも終わり、午後10時もとっくに過ぎていたと思いますが、家まで3人で歩いて帰ることになりました。家といってもそれぞれで借りている教員住宅です。コアラはすっかりできあがって上機嫌です。僕もさるじろう先生もそれなりにお酒が入って、良い気持ちで歩いていました。澄んだ秋の空に、きれいな丸い月が浮かんで心地よい月光を放っていました。
 さて、やっと帰り着いたとき、一番手前にあるモモンガの教員住宅にモモンガのいすゞの変な車が止まっていることにコアラが気がつきました。電気は消えていましたので、すでに寝ていたのかも知れません。
 するとコアラは、
「おうっ、こんな(こいつ)は帰っとらあや。」
と言ったかと思ったら
「おい、出てこい。おうっ。ようもわしらあをくじをくりやがったのう。(よくも私たち をしかってくれましたね。)」
それから大声で何やら叫びながら、玄関の戸をドンドコドンドコたたき始めました。
 僕たちがまっ青になったのは言うまでもありません。
 僕とさるじろう先生は、必死になってコアラを押さえつけ、モモンガの家から引き離しまして、それからコアラの家まで連れて行ってコアラの家の鍵のかかっていない裏口からコアラを放り込んで戸をしめて、それから逃げるように各の家に帰りました。

 次の日、何事もなかったようにコアラはケロッとしていました。
 あーびっくりした。

 そいでもって「コアラ対モモンガ」の動物対決ですが・・・。コアラがモモンガの家の玄関の戸を大声でわめきながらドンドコドンドコ叩いたのに、モモンガはいたのかいなかったのか知りませんが結局何の反応もありませんでした。家の中にいたとしたら、何事が起こったのかとてもびっくりしたのは容易に想像がつきますが・・・。
 でも出てこなかったのので、この勝負、コアラの勝ちとしたいと思います。

コアラ①  「コアラと○HK」

コアラは○HKが嫌いです。
 こちろん受信料を払うことなんか微塵も考えていません。そこでしつこいことでは有名な○HKの集金係の方々との攻防が風物詩となっておりました。

 コアラはこう見えても某公立中学校の数学の教員です。公務員にとっては何かと風当たりの強いご時世ですが、B型でマイペースで空気の読めないコアラにとってはどこ吹く風のことですので、今日も田舎ののどかな中学校の玄関先で次のような攻防か繰り返されておりました。
ボクがこの中学校に赴任した時点で、○HKの集金人の方はすでにコアラの家(教員住宅)を訪問して集金することをあきらめ、職場(学校)に直接来るようになっていました。
 玄関先に集金人が姿を現すと、職員室でポケーッとしていたコアラは颯爽と立ち上がり「さあ、今日もやっちゃるかあ。」
と張り切って出て行くのでした。普通、我々公務員は波風が立つのを極端に嫌います。薄給ながら、自分を殺して、じっと我慢して何でもハイハイといっていれば一生安泰です。だから普通は、公共料金の滞納なんか絶対にしませんし、スピード違反で捕まったりした日には、たとえどんなに理不尽な取り締まりだと思っても、深々と頭を下げて罪を認めすぐに反則金を払ってとっとと終わらせてしまいます。それが公務員として一生安泰に生きていくコツなのです。
 職員室から来客を確認する小窓を通して、コアラと集金人が言い争っている姿が見えました。僕はそっと近づいて窓越しに聞いてみました。というか、コアラは声が大きいので聞く気がなくても聞こえてくるのですが・・・。絶対に内緒話ができない男です。
○HK「・・・・・」
コアラ「じゃから、わしは払わんちゅうたら払わんのんです。」
○HK「なぜ払わないんですか。」
コアラ「わしは払わん主義ですけえ。主義なんですよ。」
○HK「主義ですか・・・。それは仕方がないですねえ。」
それからしばらくして○HKさんはすごすごと帰って行きました。コアラは意気揚々と職員室に引き上げてくると同時に
「またやっちゃりましたいね。」
と何の悪びれもなく大声で叫びました。職員室にいた校長、教頭を始め先輩同僚の方々は見なかった聞かなかったふりをして、パソコンの画面とにらめっこをしていました。
 その後、この戦いはどうなってしまったのか僕はよく知りません。コアラが支払ったかどうかも分かりません。
 しかしあいかわらずコアラは元気で仕事をしています。それからも学校の玄関先でこのような攻防が繰り広げられていましたし、それから学校の玄関に横付けされる○HKの車がだんだん立派になり、それから来られる方々の服装もだんだん立派になっていったと記憶しています。つまり、手に負えなくなってだんだん偉い人がやって来始めたということでしょうか。
 そんなことを物ともせず、教師という立場も全く気にせず、自分の主義主張を真っ向から貫くコアラ。ボクはそんな痛快なコアラのことが大好きでした。
 

月冬

張りつめた光の糸が
静かな夜を照らしている
寒い寒い月夜のことで
静かな静かな冬の夜のことで

張りつめた冷たい空気が
静かな夜を包んでいる
蒼い蒼い月夜のことで
なぜか安らかな冬の夜のことで

驚くほど澄みきった真冬の月の夜

夕陽の中で

夕陽の中で僕たちは
互いの気持ちを確かめた

夕陽の中で手をつなぎ
空に向かって歩いてた

夕陽の中でいつもより
きれいに見えた君だった

夕陽の中はどこまでも
茜の空が続いてた

そんな景色が懐かしい
そんな景色が懐かしい

夕陽の空が悲しくて
いつものように背を向けて






深夜便

こうして一人で
異国の歌を聴きながら
過ごす静かな夜が大好きです

こうしてあてもなく
ラジオの声を聞きながら
過ごす週末の夜が大好きです

そうして少しだけ
君とのことを思い出します
それから今でも
君のことが愛おしくなるのです
今でも愛おしくなるのです